湯川潮音スペシャルインタビュー【後編】

ここ数年、EPのリリースが続いていた湯川潮音。7年ぶりというフルアルバム『10の足跡』は、湯川を通じて世界に触れ直すような感覚を覚える作品だ。音にふれること、声を出すこと、音を声を重ねること──このシンプルな行為がどれほど発見に満ちた喜びであるかが聴き取れる。
湯川が得意とする、ギターとソプラノヴォイスの響きを軸にしたフォーキーで幻想的なサウンドに加え、フィールドレコーディング、多重録音、管楽器のアンサンブルによってかたちづくられる物語はさまざまなトーンに彩られ、懐かしくも新しい。初めてセルフプロデュースで取り組み、プライヴェートでは出産・子育てというハードモードをこなしながらたどり着いたという本作について訊いた

聞き手:丹野 未雪 写真:品田 裕美 ヘアメイク:森 愛


【後編】前編(2022年9月16日(金)公開)はこちら

【後編 全曲解説】

1.ポーラ

──新しい予感に満ちた曲ですね。コーラスの幸福感と、関島岳郎さんのソプラノリコーダーが愛らしい。

ふふふ(笑)。曲と歌詞の印象は真逆かもしれません。「ぼけますから、よろしくお願いします。」という老老介護を描いた映画からインスパイアされた曲です。続編が今年公開されていて。子育ても介護も、ある意味、自分を差し出すことというか。子どもが右に行きたいって言ったら、左に無理やり連れて行けないし。愛があるだけでは済まないようなものも見るし、見たくないものまで見るし。この映画のなかで、「なにもしてあげられなくて、ごめんね」っていう台詞があって、それがすごく心に刺さったんです。自分も子育てに何もかも捧げているのに、どこまでやってもまだ足りないって感じることがある。終わりが見えない日々の闘いっていうか、そんなことを唄った曲です。

──歌詞の前半で、「新しい名前を付けてあげる」と言っていた語り手が、後半「貴方に呼ばれる名前で生きよう」と、立場が反転する展開は新鮮でした。

父にも母にもなるし、明日はお姉ちゃんになったり、きっと何役もやらなければいけないし、それについていかなきゃいけないんですもんね。

2.枯葉

──水面を揺らすような管楽器の軽快かつ重層的なアレンジが印象的です。こちらは歌詞と曲が同じ色彩という感じがします。

素直に展開させればフォーキーな曲だけど、管楽器がうねっていることによってエキセントリックというか。曲ができたときに、これはヤマカミヒトミさんだな!と思ってすぐ依頼しました。管楽器のアレンジはやったことがなかったので、栗コーダーの栗原正己さんに相談したりしましたね。この曲はブリジット・セント・ジョンの影響もちょっと受けています。彼女のフォーキーなアルバムをピンク・フロイドで知られるロン・ギーシンが編曲しているものがあって、そのアンバランスな影響が面白かった。歌詞のせいか、時期のせいか、「戦争の歌ですか?」って聞かれることが多いんですけど、その影響も少なからず受けていますが、書き始めは老いるということについて考えた曲なんです。自分の体も心も変化していくなかで、幼い存在が身近にいると、同じものを見ても視点がまったく違う。歳をとることは経験が増えるし尊いことだと思うんですけど、同時に切なさもあるというか。

3.誰がつけただろう

──佐藤綾音さんのサックスが素晴らしいですね。

綾音さんはマヒトさんの紹介です。マヒトさんも付き合いが長いので、求めているものをすぐ察知してくれて。スタンダードにやったら、ギターとストリングスのアレンジが浮かぶと思うんですけど、あえて管楽器でやりたくて。後半に雄叫びのようなサックスが入ってるんですが、それも一発録りで。綾音さんはとても面白い人でした。 

──「わたしもわからないということにしがみつく」。こうした一節に、これまでにない生々しさを感じます。

「しがみつく」というのも、気になっていた言葉です。今、この曲のMVを『わたしの子守唄』(2018年)のデザインをしてくれた、本田千尋さんが作ってくれていて。歌詞の言葉がシンプルなんですけど、まさに子育ての影響があると思います。子どもといると常に「なんで? どうして?」って質問責めで、自分の見方とか考え方にしても、今まで当たり前だと思ってきたことに対して「なんでだろう?」と思うようになってきて。ある日、二人でご飯食べながらニュースを見ていたら、ウクライナの男の子がお母さんがいないと泣きながら国境を越える映像が流れたんです。うちの子が、「なんであの子ママいないの? なんで普通の道なのに、あそこから先に行くと安全なの?」って言われたことを書き留めた曲です。

4.バースデー

──アイリッシュなテイストがふんだんに盛り込まれた楽曲です。ファゴットが効果的ですね。

マヒトさんのアイデアなんです。どうしても使いたいということで、オーケストラで活躍している中田小弥香さんにお願いしました。これはニューヨークで書いた曲で、ずっと歌詞がないままだったんです。バースデー、子どもの誕生日のことを思って歌詞を書きました。出産はもちろん壮絶な体験だったし、生まれたばかりの喜びも覚えているし、でも歌詞を書き終わってみたら、それだけじゃない物語のことを書いてるような気もしてきて。地獄のような苦しみも、天にものぼるような喜びも日々あって、生まれ変わっている。バースデーは人生で一度きりのものじゃないなって考えるようになって。

──楽曲にも歌詞にも童話の冒険譚のような雰囲気が漂いますが、孤独が色濃く感じられますね。

あらためて聴き直してみると、舟を漕いでいる人は自分のことだったのかな、って思ったり。前が見えなくて落ち込んだ時期、やっぱり人に会うことで救われるというか、生きることで癒されるというか。

5.あなたの国へ

──バンジョーとマンドリンが軽快に跳ね、フィールドレコーディングの鳥の声に木の枝と、楽しい楽曲です。

わたしの曲にはめずらしく(笑)。遊び歌というか。公園で子どもが拾った木の枝や石が山のように溜まっていくので、それを鳴らしてみました。この「カカカカカ」っていう音はキツツキの声なんですけど、友人の松岡三千代さんが山登りをしたときに録ってきてくれて。

──口ずさみやすい曲ですよね。

でもこの曲、大恋愛の歌なんです。

──えっ! てっきり、お子さんとの遊びのなかで出てきた曲かと思っていました。

子どものことは1ミリも考えなかった(笑)。過去の話ですけど、すごく好きな人がいたときに、あなたのことがすべて知りたい、あなたに住み着きたいって思うほどの感情になるけれど、知っても知り尽くせない、あなたにはなれないという、気持ちを思い返して作りました。

湯川潮音スペシャルインタビュー【前編】

ここ数年、EPのリリースが続いていた湯川潮音。7年ぶりというフルアルバム『10の足跡』は、湯川を通じて世界に触れ直すような感覚を覚える作品だ。音にふれること、声を出すこと、音を声を重ねること──このシンプルな行為がどれほど発見に満ちた喜びであるかが聴き取れる。
湯川が得意とする、ギターとソプラノヴォイスの響きを軸にしたフォーキーで幻想的なサウンドに加え、フィールドレコーディング、多重録音、管楽器のアンサンブルによってかたちづくられる物語はさまざまなトーンに彩られ、懐かしくも新しい。初めてセルフプロデュースで取り組み、プライヴェートでは出産・子育てというハードモードをこなしながらたどり着いたという本作について訊いた

聞き手:丹野 未雪 写真:品田 裕美 ヘアメイク:森 愛

【前編】後編(2022年9月17日(土)公開)はこちら

──初のセルフプロデュースということですが、どのような経緯があったのでしょうか?

曲作りの流れから自然にそうなっていったというか。家でひとりでギターを弾き語りしながら曲を作るということがほとんどだったんです。コロナ禍ということもあって、会うにしても限られた時間のなかで自分のイメージを伝えていかなくちゃいけない。言葉だけじゃなく、音を聞いてもらったりして具体的に伝えていたら「もうやりたい方向もビジョンも固まっているなら、プロデューサーいらないんじゃない?」って。

──ビジョンはいつぐらいからはっきりしてきたんですか?

今、子育て中なんですが、妊娠も出産も想像していた100倍以上も大変で。音楽活動だけじゃなく、自分のことはなかなかできない状況だったんですけど、そのおかげでずっとためていた思いが熟成したというか。

──焦ったり、もどかしくなかったですか。

もどかしかったです、本当に。落ち込みましたし、体調を崩したりもして。でも、人に会えない時間が増えていくぶん、映画や本でもドキュメンタリーに関心を持つようになったんです。小さい「人」…子どもを見つめる時間が長かったこともあると思うんですけど、人間に興味を持つようになったというか。日常的な心の動きとか、そういうものにふれると安心したというか。

──人間への興味というのは?

すべての人にはその人が主人公の物語があるじゃないですか。その人次第でその物語が変わっていく。誰にもふれられない物語を、すべての人が持っているんだなと。抗うことができない大きな時代の波のような出来事もあるし、個人ではどうしようもないものと闘わなくちゃいけないこともあるけど、自分が主人公であることは変えられないし、変えちゃいけないと思う。

──『灰色とわたし』(2008年)リリース時に書かれた湯川さんのレコーディング日記に、「わたしはやっぱり物語があるアルバムが好きだ」とあります。今作のアルバムタイトルには「10人の人間を主人公にした物語」という意味が込められているそうですが、制作プロセスにおいて「物語」はどういう位置にあったんでしょうか?

これまで「人」にフォーカスすること自体少なかったと思います。もっとふわっとしたものを書いてきたので。ニューヨークに住んでいた頃に書きためていて、『濡れない音符』(2013年)や『セロファンの空』(2015年)にも収まりきらなかったタイプの曲があったり。その後も曲は書いていたので、曲はあるんですけど、破片ばかりが増えていくような感じでした。言葉もパズルみたいに断片はいくつもあるんだけど、つながらないという。ずっとうまくいかなくて。

──湯川さんが歌詞で描く世界は、トーベ・ヤンソンが描く奇妙な生き物たちの寓話的な世界だったり、舟崎克彦が描く動物や植物と対等に対話するファンタジー世界、英米のフォークシンガーの内省的なリリックにルーツを持っていますよね。近年は内省的な歌詞に軸足を置いてきたように思いますが、今作では寓話的な世界が再び顔を覗かせたように感じました。

原点返りはあるなと思いますが、変化してもいるので、どんなバランスで出ているのかな…自分では意識していません(笑)。実は、ずっと歌詞が書けなかったんです。それが、なぜかここ数ヶ月で一気に書き上げてしまったんですよ。「人」というものにフォーカスを当てていったら、雷に撃たれたかのように書けてしまって! 遠回りになった道で、自分が過ごした時間、見ていたもの、吸収したものが影響したのかなと思う。シンプルな曲だし、歌詞もシンプルにしようとしていたんですが、結果的にそうじゃないほうに行きました。

──曲と歌詞が嵌まる瞬間があるんですね。

たとえば映画だったら90分、120分という限られた時間のなかでひとつの世界、ストーリーがあるように、音楽には3分のなかに物語をおさめていますよね。俳句じゃないですけど、そういう形式の美というか、削ぎ落としていくことで粒立つものを表現する魅力というのが曲作りにはあるので。

──人とも会わなくなりましたが、ホール、ライブハウス、カフェといった空間との出会いも減りましたよね。音楽制作に影響はなかったんでしょうか。

それは大きなことですよね。もちろんそこにいるお客様から受ける影響も大きいんですけど、わたしの場合、自分の声や楽器を鳴らしたときの響きから紐解いていくことが多いので、その機会がなくなってしまうのは、何かが一時停止してしまうという感覚はありましたね。唄っているとき、声の響きを感じているとき、ちょっと時空がずれるような感覚というか、日常と離れる瞬間があって。それは第六感的なところなんですけど。そこがうまく作用すると曲ができる気がします。それを思い出すために、道端とか公園で唄ってみたりしてました(笑)。

──屋外で?

自然の中で。今回、フィールドレコーディングをしていて、鳥の声、風の音も入っているんですけど、今回のアルバムにはそういう意味で空間が影響しています。